来 歴


すばらしい海

それから山 それから海 それから畑
それから神話の中の松林をとおりぬけ
何とはるかな道程ののちにそれはあつたろう
ゆく手はいちめんの青草だと見せて
生きもののように道が傾斜しつくすと
不意に途方もない大きさで端座した海

家一軒 もみの木一本所有しない
あんなにゆたかな空しさを
また明日の方まではこび続けるつもりだ
今もものいわず
かもめの羽にかくれては
駄々つ子のゆうぐれを無心にあやしている

記憶の波を
一枚ずつ沖の方へ押しやりながら
弓なりの浜を帰つてくる
その足もとの定まらない砂の下から
うしろざまにかけて行つて
遠い波の下へ沈んでしまうすばやい海

忘れても他人のまねなどせず
どんなに徒労に見えても
自分の道だけを熱心に往復する
海には海の方法がある
楽しげにさざめき空に向かつてはじけている海の
そのほんとうの声を聞きわける者はない

あきらめるわけではないが
背中をむけて足早に去つて行く
だが心だけはいつも海に寄りそつて立つている
私にとつて今 何が大変で何がやさしいのか
どこまでが正しくどこからが悪いのか
しまいには誰が近くて誰が遠いのかさえわからなくなる
無理だろうか
あなたの胸からも
あどけない潮騒をききたいのだ
おろかしいことだろうか
私は死ぬまで一度
そのひろいふところに溺れるほど揺られてみたいのだ

心から望むのは
あなたの海がみかけよりずつと大きなうつわであり
あふれてもあふれても私をいれる深い盃であるように
そして私は
あなたの分を十年先まで浸している愛
愛よりももつと確かにみちてくる潮であるように

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